わたしがわたしを赦すとき~緑内障と乳がんから考える~

「物事を厳しく見すぎている、何かに集中しすぎている、怒りを感じていたり、批判的な気持ちになっている、現実(限界・苦しみ)を受け入れる必要がある」

 

ブレインジムのコース「クリエイティブビジョン」で、目の使い方は思考と深い関係があると学んでいる最中、やはり、思い当たる節があります。

 

ペットの症状は自分の症状と深くつながっているのです。そして、上のメッセージを見て、あっと思ったのが、これはつい最近、乳がんを告知されて気づいたメッセージと同じだということでした。

 

 

 

 

目は心の窓、反射区の考え方では、目と胸の形は類似しており、何か共通したメッセージがあると考えられています。

 

私は自分に対して厳しい目を向けており、現状を受け入れられず、もっともっとと成長を求め、自分を追い込んでいる。もうこれ以上成長できなくて苦しくなっても何かを変えなければならないと追いつめられた気持ちになっていることに気づきました。

 

今の私にとって必要なのは、成長することでも、変化することでもなく、自分の限界を受け入れること、苦しい気持ちに気づくことだと思ったとき、それって自分を赦すことなのだろうな、と思ったのです。

 

赦すという字は主に罪を赦すようなときに使われます。私はどんな悪いことをしたのか、具体的なことは思いつかないけれど、自分の気持ちの奥深くに何か悪いことをしている自分、罪深い自分を感じます。

 

その罪を償うために今の自分・現状ではいけないと思って常に努力をしてきたのだと思います。

 

努力がいけないものなんて誰が言ったのでしょう。人は向上心を持って、よりよい方向へ成長することがよいと信じてきました。そのためには多少の無理も仕方ないと。

 

でもいつの間にか、自分が考える理想の自分に近づくための慢性的な苦しい努力を続ける人生を選んでしまったのだと思います。

 

理想の自分は常に上を求めるから、満足することがありません。ちょっと昔より進歩したことがあっても、それよりも今できないことをできるようになるために更に努力しないといけないと思うようになります。

 

病気にならないよう、幸せな人生を送れるよう、心身によいと思う様々なことを取り入れてきたけれど、その根底に今の自分ではいけない、という自己否定の気持ちがあったら決して満足できないし、幸せを感じられないのだとついに病気になって気づかされることになりました。

 

もし今年紆余曲折を経て、最終的に思い描いた職場に導かれて満足していたら、また当たり前のように次の目標に向けて頑張っていたのだろうなと思います。

 

オーラソーマのクラニアルセイクラルタッチによると、視神経=B11/89のボトルに対応し、11番クリアー/ピンクのメッセージは自己受容です。

 

 

 

 

また、対応するタロットは「強さ」、星座は「しし座」、シンボルは「ライオン」です。ライオンは自己表現をしたくて、人の注目を浴びたい存在。先日ブログで書いたような、人から見られたくない、という心境とは真逆です。

 

本来人は自分を表現したいし、楽しいことを追及して、外に向かっていきたい存在。でも、自分に厳しい目を向けていたら、決して楽しむことはできないし、自分を罰することに大きなエネルギーを注いでしまいます。成功することも夢のまた夢となってしまいます。

 

もう頑張らなくてよい、今のままでよい、まずはリラックスして世の中を楽しめばよい、そう思うだけでものすごく落ち着いた気持になりました。

 

人はより良い方向へ進みたい、何かを改善したいと思うものですが、現状を受け入れるということがたとえ見たくない現実であっても、こんなに平穏をもたらすものであるならば、どんなセラピーも否定から始まってはいけない、まずは何よりも受け入れるという気持ちが大切だと思うようになりました。