先日、Metamorphic Techniqueのオンライン勉強会に参加しました。
勉強会に出席すると、いつも最善のタイミングで良い話を聞くことができるので今回も楽しみにしていました。
参加者は毎回開始前に話し合いたい議題を自由に提案することができます。
私は今変容の時間を過ごしていると感じているので、厳しいと感じる変容の時期をどう乗り越えてきたか、メンバーの意見を聞いてみたいと事前に伝えていました。
けれども勉強会の開始時間は日本時間金曜日の午後11時からスタートで、開始時点で既に一週間の疲れが溜まって眠く、パソコンの前で座っていられない状態でした。
議題を提案していたのに申し訳ないと思いつつも、ベッドに寝そべりながら、うつらうつら話を聞いていました。
そんなわけで、今回はメモを取りながら集中して聞くことはできなかったものの、重要なポイントだけは心で聴くことができました。
本日は、「変容」をテーマに、Metamorphic Techniqueと、前回ご紹介した、デヴィッド・R・ホーキンズ博士著「パワーか、フォースか」の観点から改めて考えてみたいと思います。
①変容の時何が起きているか?
→変容を迎えて苦しい現実を過ごしていても、時間と空間を超えた世界では、既に新しい現実が創造されています。
これは、変容の象徴である芋虫がさなぎの中で分解されている時、同時に蝶という存在が生まれつつあることに例えられます。
だから、何も起きていないのではなく、同時に何かが起きていることを信じることが大切です。
変容の時期は人により厳しいことがあり、絶望感を感じた後に、スピリチュアルな目覚めに至ることもあります。
②すべてを受け入れる、物事をありのまま見つめる
→Metamorphic Techniqueでは、クライアントが抱える問題に合わせて、または症状改善のためにセッションを行うわけではありません。
テクニックは複雑ではないですが、セッションでのプラクティショナーの心のあり方が重要とされます。
具体的には、クライアントの状態をそのまま「認識」するだけで、それを改善すべき状態と判断しません。
一人一人には叡智、パワー、生命力があり、それこそが本人を導く力を持っていると考えるからです。
また、プラクティショナーの心のあり方を表現するキーワードとして勉強会でよく出るのがobjective loveです。
objectiveとは「客観的」で、それに対するsubjectiveは「主観的」です。
つまり、プラクティショナーがクライアントを判断する状態が「主観的」であるのに対し、objective love はプラクティショナーとクライアントという関係性を超え、二人が共に存在することを表しています。
プラクティショナーはクライアントの変容する力を信頼し、ただ愛を持って相手と共にありながら、目の前の事実をただ見つめていきます。
そうすることで意識が拡大し、知覚できる範囲が広がり、変容をもたらす場を作っていくことを目指しています。
ここからは、「パワーか、フォースか」から、変容に関連した内容をご紹介します。
前回ご紹介した通り、意識レベルが200以上になると、より高次のエネルギーにつながれるようになります。
中でも、変容が起きるという段階が意識レベル350の「受容」です。
受容とは、物事を否定せずあるがままに受け入れ、全体像を見ることです。
この段階では、自分が全ての根源であり、自分自身が人生のクリエイターであるという意識を持ちます。
より大きな源につながった自分のパワー=生命エネルギーと調和して生きることができるようになります。
さらに、意識レベル500で「愛」の段階に、540で「喜び」の段階に入ります。
この時、ハートで感じ、物事の本質を識別できるようになります。ゆるしと慈愛の意識により、自己意識が広がっていきます。
そして、意識レベル600「平和」の段階では、認識する人=私(主観)と認識される人=あなたとの分離がなくなり、二元性を超えたワンネスの境地に至ります。
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このように、「パワーか、フォースか」に書かれている意識レベルの高い状態、具体的には、ジャッジせず、ただ物事を認識すること、あらゆるものに慈愛の精神を持つことは、Metamorphic Techniqueで大切にするプラクティショナーとしてのあり方と共通していると感じました。
両者とも目指すところは、宇宙がもたらす無限のパワーにつながることによって、なりたい自分になっていくこと、求めるものの創造を可能にして現実を変えていくことだと思います。
最後に、「パワーか、フォースか」から印象に残った言葉を引用します。
「結局は二元性も非二元性もなく、『認識』しかないということです。『認識』そのものだけが、『存在』する『存在しない』といったすべての概念を超えられると断言できます。そうであるべきなのです。なぜなら『存在』とは、意識でしか考えられないからです。『認識』そのものは、『意識』さえ超越しています。なぜなら『知ること』を超えて、あるいは『意識』そのものを超えているからです」
「私たちは連続していると思われる体験を目撃したり、観察したり、記録しています。しかし、『純粋たるアウェアネス(認識)』においては、実際には何も起きてはいません。つまり、認識することは経験にまったく影響を与えず、経験することを単に心に銘記するにすぎません。認識は生命そのものと同じ、すべてを取り囲む無限のパワーのアトラクターフィールドだといえます。そして、より高いレベルの認識になれば、マインドが信じるすべては間違ったことにもなるのです」
「昔から心は、観察するだけで自分の意識レベルを高める傾向が生まれるといわれています。観察によって心がもっと謙虚になり、全知の主張を放棄し始めるようになると、認識力が発達するようになります。(中略)結局、私たちの思考のすべては、偉大な意識のデータベースからの単なる借りものであり、本当の私たち自身では決してないという気づきに到達するでしょう。(中略)そして、マインドから徐々に自由となり、解放される経験をするようになります。さらには、それが新しい喜びの源として熟されていきます。それに応じて意識のスケールを上昇するにつれて、存在そのものの喜びが熟していきます」
「純粋な意識そのものを体験するときには、思考感情が止まります。そうなると無限のパワーや慈愛、優しさ、愛が訪れます。その状態になると、self(自己)はSelf(無限の自己)になります。それに伴い、selfをSelfとして体験できる能力の源への気づきがあります」
意識を高める、観察したものを認識する、ということを文字で読むと難しく感じますが、それをセッションという形で表現したものがMetamorphic Techniqueだと考えております。ご興味のある方に受けていただけましたら幸いです。