変容はどうやって起きるのか?<更なる考察>

通常Metamorphic Techniqueでは、変容とはどういうことか、ということを芋虫が蝶になるプロセスをたとえ話にして説明していきます。

  

自然界では「変容」は自然に起きている現象なので、私たちも同じように変容する可能性を生来持っているものなんですよ、そのプロセスがどのようなものであるか詳細はわからないですが、最終的にはあなたが誰であるか(Who you are)、からあなたは何になり得るか (What you can be)、に変わっていくのですよ、と。

 

これはオーラソーマで言っていることと近いと感じているのですが、あなたは誰?というのは、今まで自分だと思っていた自分、育った環境をベースとして作られた自分、ということであり、実際には、それ以外の自分になれる可能性があって、それは変容していくことによってもたらされる、ということだと思います。

 

前回のミーティングでもこのような感じで話し合いました。

 

 

オンラインミーティングでは、予め参加者から議題を募るのですが、今回、わたしは「変容」について考えていたことについて質問してみました。

 

「Metamorphic Techniqueで習ったことによれば、変容は自然界で自然に起きていることで、そのプロセスに葛藤したりもがいたりすることはないものだと理解していますが、昨年自分自身に起きたことは多大な痛みを伴うものでした。痛みが起きたのは、変容に抵抗していたからでしょうか?また、変容の流れをもっとスムーズにすることはできないのでしょうか?」

 

これについて多くのメンバーが自由に意見を交わしてくれました。

 

その中で、印象に残ったことをシェアしたいと思います。

 

-自然界で起きる変容には、本当に痛みや葛藤はないのか?芋虫がその姿を完全に分解することになったとき、そこには痛みがあるのかもしれない。

 

-この時、芋虫に起きていることは、<これまでの自分の死、崩壊>である。

 

同時に、時間と空間を超えた次元では既に蝶、という新しい存在が創造されているのだが、まだ具現化するまでに時間がかかる(さなぎの中で起きている現象は目に見えない)ので、表面的には<崩壊>しか起きていないように見える。


-時に、人が全く新しい存在に生まれ変わろうとしている時、そのプロセスはコントロールできる範疇を超えており、未知の世界に向かって、極限まで行くしかない、ということもあり得る。

 

この未知の世界にこそ、無限の可能性が存在しているのだが、ここに向かう前にまず今までの足場を一新しないといけないかもしれず、そのプロセスに痛みが伴うのは仕方ないとも言える。

 

-しかし、変容のプロセスには必ず痛みを伴う、というわけではなく、それは個々のそれまでの人生、信じていることなどに左右される。

 

-このような現象が起きた時、最善の道は「Surrender(降伏する、何とかしようと思うことを手放すこと)」かもしれない。そしてこの一連の流れを信じること。

 

その先には、きっと内なる平和につながっていく。

 

起きている現象は高次の視点からすればまた別の見方ができるかもしれないから、無理に解釈しようとせず、事実をただ見つめること。

 

自分でもそうだろうな、と思っていたことを、また別の方向から様々に語ってもらってより深く理解することができました。

 

わたしはMetamorphic Techniqueを習ったから、セッションをたくさん受けたから、正直変容はもっとスムーズに起こせると思っていました。

 

実際プラクティショナーになるために準備をした2017年から2018年の間は、人生がよい方向へどんどん好転し、2019年には会社員生活に復帰するという思いがけない方向転換も経験しました。

 

でも今思えばそれはまだ「変化」の段階だったのかもしれません。

 

なぜなら表面的な部分は変わっても自分の核となる部分はさほど変わっていなかったからです。

 

本当になりたい自分にまで到達しきれていなかったのです。

 

それが、昨年、自分の思考では到底理解できない出来事が起きて、嫉妬など強い感情を幾度も経験し、けれどもその嵐のような出来事が過ぎ去った時、自分が未知の世界へこれまでにないスピードで向かっていることに気づきました。

 

すべての方が、変容にあたってわたしと同じような体験をするというわけではないと信じているし、痛みなどない方がいいとわたしは強く願っています。

 

でも、火山が爆発するように、時に人の人生にも思いがけない激しい渦に巻き込まれることがあるのかもしれません。

 

その時、セッションを受ければこのプロセスは楽になります、とは言えません。

 

ただ、セッションを提供するプラクティショナーは「Detachment(何とかしようと思うことを手放す)」という態度でセッションに臨みます。

 

テクニックそのものは誰にでもできる簡単な内容ですが、この態度・あり方がMetamorphic Techniqueの真髄であり、それがMetamorphic Techniqueはセラピーではない、と位置付けている所以です。

 

なかなか難しいこの態度ではありますが、そういう特徴を持つMetamorphic Techniqueのセッションを受けたことを契機に何かが変わるというようなことが起きるのかもしれません。