「あなたはあなたのままでいい」講演会と本のレビュー~セラピストの視点から

先日、東京の聖イグナチオ教会で開催された、片柳弘史神父の著書「あなたはあなたのままでいい」の講演会に行きました。

 

私はカトリックの学校を出ていますが、自分自身は信者ではなく、学校に通っていた時も宗教の授業は道徳としか感じられず、特に興味もありませんでした。

 

ただ、私にとって教会は身近な場所であるため、今でもふっと一息つきたい時に教会で静かな時間を過ごすことがあります。

 

先日この教会を訪れた際、たまたま私の後ろにいらした方が片柳神父様がマザーテレサから勧められてこの道に入られたこと、是非講演会に参加したいとお話しされていたことを小耳に挟み、私もちょっと足を運んでみようと思ったのでした。

 

当日は寒く雨が降りしきる日であったにもかかわらず、会場に入りきらないほどの方が参加していました。私も1時間半立ち見で神父様の顔も見えない状態でしたが、聖書の言葉を現実生活の中で励ましとなるよう、楽しく噛み砕いてのお話が続き、心に染み入りました。

 

今回聞いたお話の中で、私がセラピストとして日々考えていることに関連して心に残った内容をまとめてみたいと思います。

 

昨年12月に出版された片柳弘史神父の著書「あなたはあなたのままでいい」(PHP研究所)では全部で23の聖書の言葉が紹介されており、1つ1つの言葉に関連したメッセージが書かれています。

 

以下、印象に残ったメッセージを本に記載されている番号と共に記します。

 

 

1) あなたはあなたのままでいい

 

2) 花は咲くだけでいい、人は生きるだけでいい

 

タイトルでもある1)のメッセージは、聖書で有名な話「放蕩息子」の一節に基づいています。

 

放蕩息子は家を出て父親から譲り受けた財産を使い果たしてしまった末、使用人として働こうと家に戻ると、父親から思いがけず抱きしめられた、という話です。

 

この話から言えることは、どんな時も私たちは許されている存在だということ、神様という存在はどんな時も私たちを信じて待っていてくださる存在だということでした。

 

最近私は「ゆるし」について考えることが多いですが、キリスト教の中で「ゆるし」は最も重要な教えの1つなのですね。

 

日本では神様が絶対的な存在であるという考え方は馴染みがないので、赦されるという経験がそもそも身近でなく、ゆるし、ゆるされることを考えることが難しいのかもしれないと思いました。

 

そして、聖書の冒頭が創世記から始まる通り、キリスト教では神様が愛を持ってこの世を創られたと考えられています。

 

自然界に存在するものはすべて美しく、神秘に溢れており、私たちも同じようにただ生きているだけで素晴らしい存在だということです。

 

私たちは人生の目的は何かと考えたり、何か大きなことを成し遂げないと自分の価値を感じにくいところがありますが、自分が生かされていること、その価値を感じてみてほしい、というメッセージのように感じました。

 

 

3) あなたには立ちあがる力があります

 

4) あきらめなければ道は必ず開かれます

 

5) 何をするにもタイミングがあります

 

6) じたばたするとかえって状況は悪くなります。落ち着いていま何をすべきか考えましょう

 

4つのメッセージをまとめてお聞きしたお話がとても印象的でした。

 

4) のメッセージは聖書で有名な一節「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい、そうすれば開かれる。」に基づいています。

 

ここで重要なことは「求める」ということのようで、私はこれを神(=大いなる存在)に委ねることだと理解しました。

 

神父様が言われるには、人生の真理として、どんなに大変だと思われる事柄でも時間が解決するということ、物事にはタイミングがあっていずれ状況が変わるときがくるそうです。

 

だから、あきらめずに希望を持っていればいずれ道は開かれるから、じたばたしないことが大事だというお話しされていました。

 

ただ、その「道」というのは神様だけが知っている最善の道であり、自分の頭で考えている道ではないかもしれないということがポイントのようで、これは一人一人には使命があるというキリスト教の考えに基づいているようです。

 

その道が何かわからなくても、その時を信じて待つ=今できることをする、ということが大事だとお話しされていました。

 

神父様の場合は、聖職者になるという道が「求めた」結果「与えられた」道だったそうで、学生時代弁護士になりたいと思っていた道とは違っていたそうです。

 

また、6)のメッセージに関連したお祈りは以下の通りです。

 

「変えられないことについては、落ち着いて受け入れる冷静さを、変えられることについては、変えていく勇気を、そして、変えられないことと、変えられることを見分ける賢さを、神さま、どうぞお与えください。」

 

人生には自分の力でどうにもならないことがあり、それについては自分で何とかしようとせず、限界を認めて神に委ねる、誰かに助けを求めることを説いているのだと理解しました。

 

 

その他、印象に残ったメッセージと、私が理解した内容を簡単に挙げておきます。

 

9) ないものを嘆くより、あるもので楽しみましょう

 

 =どんな状況でも幸せになれる。与えられたものを生かして人生を楽しむこと。

 

12) 試練が与えられる時には乗り越えるための力も必ず与えられます

 

=乗り越えられない試練はない。試練が与えられたからこその恵みがある。

 

13) 心のむなしさは愛によってしか満たすことができません

 

=幸せとは、成功することではない。失敗してもいつも自分を大切に思ってくれる人、あるがままの自分を受け入れてくれる人がいたら、それだけで幸せである。

 

17) 苦しいときには苦しいと正直にいっていいのです

 

=弱みを見せず、強く生きる必要はない。互いに助け合うことで、大きなことを成し遂げることもできる。

 

 

最後に、私が活動しているMetamorphic Techniqueの観点から印象に残ったメッセージをご紹介します。

 

Metamorphic Techniqueの創始者Gaston氏はフランス系カナダ人であったため、もしかしたらカトリックの教えに影響を受けているのではないかと思いました。


22) 答えを出す必要はありません。ただ相手と一緒に喜び相手と一緒に悲しめばいいのです

 

これは、相手にアドバイスをしたり、相手のために答えを出す必要はないということで、それよりも、相手に寄り添うこと、相手をありのままに受け入れることが大事で、それが愛だということです。

 

Metamorphic Techniqueのセッションでは、クライアントの方の悩みや症状を改善しようとせず、どの方にも同じ内容のセッションを行います。

 

それは、相手が持っている力を信じているからであり、その力をもとに発展する展開は、プラクティショナー自身が考える「施術によるよい結果」をはるかに凌いでいるからです。

 

重要なことはクライアントの方を一定の方向に導くことではなく、共にいること、寄り添うこと、それだけでクライアントの方に何か大きな力が沸き起こる可能性があるという考え方を大事にしています。

 

以上、私自身が印象に残ったメッセージを書き記しましたが、ふだんキリスト教に馴染みのない方にとっては、理解が難しいと感じられたでしょうか。

 

私の理解としては、キリスト教では神という絶対的な存在が私たちの想像を超えた力を持って存在していること、その神がこの世に生きる存在すべてに愛を持って見守り信頼していること、その神の元ですべての存在はゆるされていること、だからこそ私たちは安心して生きていけばよいこと、そして周りの人と競うのではなく助け合うこと、寄り添うこと、必要であれば助けを求めることが大事だと説いているのだと思いました。

 

私は、一般の人がこの教えを理解する上では必ずしも神をキリスト教で説かれる神様と結びつける必要はなく、この世には自分の理解を超える何かがあって、自分が生かされているということを大事にすればよいのではないかと思いました。

 

キリスト教の教えは日本人にとっては理解が難しい点が多いですが、私たちにとって忘れがちな点を説いているように思います。

 

特に、頑張りすぎて完璧を求めすぎて結果を求めすぎて自分にも他人にも視野が狭くなりがちな日本人に重要なことを教えているのではないかと思いました。

 

時には現状を受け入れ信頼して待つことも大事なこと、それでもきっと希望はあるのだというメッセージと私は捉えました。

 

片柳神父様にとって、すべての人を見守り信じる愛を体現していたのが、実際にインドで共に時を過ごしたマザーテレサであったそうです。

 

私もセラピストとして、一人の人間として、そのような愛を持って生きていきたいと思いました。