自分の価値とはどんな時でも揺らがないもの

そして、4月に転職した際、今までの経験はいったんゼロにして、新人として謙虚に頑張っていこうと思っていました。

 

前職でも最初は大変だったけど、成長を見守ってくれた上司や同僚がいたから時間はかかっても今回もきっと大丈夫と苦しいながらも思っていました。

 

しかし、日が経つにつれ、優秀な同僚の姿を見ながら、できるはずの作業がスムーズにできない自分を自覚するうちに、だんだんと今まであったはずの自信が崩れ去っていくことを感じていました。

 

そして、この原因が、自分の脳のストレスによるものだと実感するうちに、これは根本的に対処法を考えないといつか限界がくると密かに思っていました。

 

そして脳のキネシオロジーを受ける予約もしていたのですが、それより前に、判断が下されてしまいました。

 

できないと判断されたのは、特定の仕事に要求されるスキル不足を指しているのであって、わたし自身ではない、と頭で理解しようとしても、やっぱりわたしはこれまで自分の価値=仕事ができることだったのだなと思うばかりでした。

 

でもここで、オーラソーマのマイクが先週末のグローバル瞑想時に話していたことを思い出しました。

 

先週起きた、木星と海王星が魚座でコンジャンクションする出来事に関連して、「この1週間は、思考や感情に振り回されることなく、自分のスター(おへその上に存在する失われることのない叡智)にフォーカスするように」と話していました。

 

木星と海王星がコンジャンクションする出来事は単純に喜ばしいことだと思っていたからその時は深く考えなかったのですが、このようなショック状態にあっても揺らぐことのない自分の価値を思い出すことが大事なのだと思いました。

 

そして自分の価値とは何かができることではなくて、既にあるもの、自分の存在そのものなのだから、自分の価値を証明するために過剰に頑張る必要もないし、過剰な頑張りが必要な仕事はそもそも自分には合っていないのだ、と少しずつ思うようになりました。

 

会社にいれば、仕事ができる人が評価されるし、上司には可愛がられ、同僚には頼りにされ、存在価値を感じることができます。

 

仕事ができない人は簡単に解雇できない状況であっても、暗黙の了解でお荷物扱いになります。

 

だから仕事ができる人たちは評価を上げるためにもっともっとと頑張ります。

 

この頑張りが辛かったから転職を決意したのに、次に決めた仕事も同じような頑張りが必要な仕事でした。

 

上司はとても仕事ができる人で、部下も同様であることを当たり前のように思っていたことでしょう。

 

そんな上司に対して頑張ること(上司の期待に応えて本来の勤務形態以上に働くこと)を拒否した時、派遣切りが決定的なものとなりました。

 

以前のわたしだったら、何も考えずに期待に応えていたでしょう。

 

そうすれば、少なくとも今回のタイミングで切られることはなかったかもしれません。

 

でも、わたしはもうそうしたくなかった。だから苦しい派遣切りの現実が起きてしまったけど、それでもわたしの価値は揺らがないし、そもそも最初からすべて満たされているのだと思うようになりました。

 

魚座の「無条件の愛」「赦し」「受容」というテーマは非常に重いですね。

 

今回の出来事がどんなに青天の霹靂で理不尽だと思っても、きっと宇宙目線で考えれば最善のことが起きていて、わたしの本質に沿った人生が待っている、とマインドフルネスの精神で言い聞かせる日々です。

 

同じような経験をされている方も、どうぞご自分を責めず、ご自分のスターの存在に気づくことができますように。